げんない

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時代背景

 伊佐庭如矢は、文政11年(1828年)9月12日、町医者の成川国雄の三男として生まれました。
十六歳の時に松山藩家老の菅良弼の家司、阿部庸男のもとに養子となり、その後、庸男の娘・射狭と結婚。
 安政3年二十八歳の時、「老梅下塾」を開き千人余りの門弟を教える。四十歳で明治維新を迎え、長男柯が二十歳になり、阿部家を長男に継がせ、如矢は別家して伊佐庭姓を名乗るようになりました。
 明治23年、伊佐庭如矢は初代道後湯之町町長に就任し、温泉の改築をはじめ、数々の改革に着手していきます。
その改革は温泉を中心に百年先を見据えた、今で言う「まちづくり構想」につながるような先見的な政策がうかがえます。
 数ある伊佐庭如矢の功績には大きく4つの偉業「松山城の公園化実現」「道後温泉本館の改築」「道後鉄道の開設」「道後公園(湯築城公園)の整備」があり、今の道後の礎を築いた伊佐庭如矢の功績を紹介いたします。

略歴