52days

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時代背景

現在、萬翠荘の裏手にない愚陀佛庵、松山市二番町にあった上野義方邸の離れを復元したものである。
・1945年(昭和20年)当時の建物は松山空襲で焼失
・1982年(昭和57年)に萬翠荘の北側の城山山腹に復元
・2010年(平成22年)大雨が降った影響で城山の山腹の土砂が崩れ、愚陀仏庵は全壊
・現在…再建計画が何度か話し合われたようだが、再建の目処は立っていない
松山市立 子規記念博物館内にあるレプリカが唯一、当時を偲ばせる場所になっている。

夏目漱石と正岡子規

1895年(明治28年)夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した際の下宿先として利用し、また52日間に渡って俳人・正岡子規も療養のために居候した時期があり、 1階に正岡子規、2階に夏目漱石が住み、共に俳句づくりに没頭した。
小説「坊っちゃん」は漱石自身ここでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。
この「愚陀佛庵」という名前は夏目漱石の自分の俳号「愚陀佛」から名付けたという説と、正岡子規が「愚陀佛がいる庵」と呼称しているところから、正岡子規が名付けたという説がある。

俳句の世<h2></h2>界

短い間だったが、松山で同居していた漱石と子規。お互いを尊敬し合い、一番の理解者であった。
子規は、自由奔放に生き、最後は病を抱えながらも俳句や短歌を詠むことをやめなかった…。辞世の句「をととひのへちまの水も取らざりき」を残し、享年34歳で子規は短い人生を終える。
漱石は、現在の東京大学を卒業したエリートだが周期的な神経衰弱症を持っていた非常にナイーブな人物。代表作となる『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を発表し作家として大成功をおさめるが、胃潰瘍により1915年に49歳で亡くなった。
2人の出会いが生み出した俳句の世界、そして漢詩の創作や評論といった文学活動が現代の世界文学に多大な影響を与えている。

二人の俳句